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大阪高等裁判所 平成5年(う)414号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人村井豊明作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、原判決は、被告人が、平成二年八月一八日ころの午後九時二〇分ころ、京都市山科区《番地略》焼鳥店「甲野」前路上において、Aに対しフェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶約〇・一グラムを代金五〇〇〇円で譲り渡した旨の本件公訴事実と同一の事実を認定したが、このような事実はないから、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。

所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せ検討するに、被告人は、捜査およぼ公判段階を通じ一貫して本件公訴事実を否認し、本件犯行があつたとされる時刻には自宅にいた旨のいわゆるアリバイを主張しており、本件公訴事実のとおり被告人がAに覚せい剤を譲渡したことの証拠としては、Aの供述しかないところ、原判決は、被告人の供述を信用せず、Aの検察官調書三通(うち二通は謄本)ならびに原審第二、第三回各公判調書中のA証人の供述部分のうち右検察官調書の内容に沿う部分およびAに対する覚せい剤取締法違反被告事件(京都地方裁判所平成二年(わ)第八四二号、第八八七号)における第二、第四回各公判調書の謄本中の同人の供述部分、とりわけ右各検察官調書の内容を信用して、前記事実を認定したものである。なお、本件公訴事実および原判決とも、犯行日を「平成二年八月一八日ころ」と表示しているが、実質は平成二年八月一八日に限定していることは、記録に照らし明らかである。

そこで、Aの供述の信用性について検討するに(以下、年号は特に断らない限り平成二年である)、関係証拠によれば、Aは、本件犯行当時、京都府日向市《番地略》所在の株式会社乙山(以下、乙山という)に勤務し、不動産売買等の営業員をしていたものであるが、八月二二日に覚せい剤譲渡事犯により逮捕されて、同日尿を任意提出し、その尿から覚せい剤成分が検出されており、右逮捕に近接した日に覚せい剤を自己の身体に注射して使用していることが認められるところ、原審で取り調べられたAの検察官調書三通(うち二通は謄本)には以下のとおり記載されている。

〈1〉  Aの九月一〇日付検察官調書の謄本(原審標目番号一三)

八月一七日午後九時二〇分ころ「甲野」前路上で、被告人から覚せい剤一粒を代金五〇〇〇円で入手し、その翌日から三日間、連日朝晩二回宛使用した。

被告人から入手した覚せい剤は、同月二〇日午後八時半ころ、乙山の事務所の便所で約〇・〇一五グラムを注射したのが最後である。

〈2〉  Aの九月一〇日付検察官調書の謄本(原審標目番号一四)

覚せい剤を最後に使用した日の三日前である八月一七日午後九時二〇分ころ、「甲野」前路上で、被告人から覚せい剤一粒〇・一グラムを代金五〇〇〇円で入手した。

当日、乙山の事務所から、勤務中に、被告人のポケットベルに連絡を入れた。被告人から、折り返し電話があり、「今日ええか」と言うと、「わしも勤めのこともある。晩山科に行つてるし、山科に着いたら、ポケットベルに連絡を入れてくれ」と言われた。

午後八時ころまで仕事をし、普通乗用自動車(カムリ)を運転して、「甲野」に向かい、同店前に着いてから、ポケットベルで被告人に連絡した。折り返し被告人から、被告人の内妻の家に電話をかけるようメッセージがあつたので、近くの公衆電話から指示された電話番号に電話をかけた。被告人が電話に出て、「一五分位待つてくれ」と言つた。そこで、車内でシートを倒し寝そべつて、被告人が来るのを待つた。少しうとうとし、被告人が運転席ドアのガラスを叩く音で目を覚ました。そのとき車内のデジタル時計を見ると九時二〇分だつた。被告人は、いつも乗つているオートバイをカムリの前に同じ方向に止めていた。被告人は、カムリの助手席に乗り込み、すぐに袋の中から指で覚せい剤をつまみ出した。私は、左手を出して、被告人からグリンピース大の覚せい剤を一粒を受け取り、コンソールボックスの中にあつたガソリンの領収証に覚せい剤を包み、口をねじつて胸ポケットに入れてから、千円札五枚を被告人に渡して代金を支払つた。そして、車内で五分位雑談した後、被告人と別れ、乙山の事務所に帰り、誰もいない事務所内で、覚せい剤を粉々にして黄色のコピー用紙に包み替えた。

その夜は覚せい剤を使用せず、翌一八日から二〇日までの三日間に六回使用した。覚せい剤を最後に使用したのが二〇日午後八時半ころで、このとき二回分位の使用量の覚せい剤を落として水に流してしまつた。

被告人から入手した覚せい剤の量は、私の七ないし八回分の使用量に相当する約〇・一グラムである。

〈3〉  Aの九月二一日付検察官調書

乙山の事務所の便所で覚せい剤を使用した最後は、八月二〇日午後九時半ころである。これまで、八時半ころと供述していたが、乙山のタイムカードで確認してもらつたところ、同僚のBの退社時刻が九時四分となつており、私は、Bが退社した一人になつてから、覚せい剤を注射しているので、午後九時半ころ使用していることになる。そのとき使用した覚せい剤は、使用の二日前に、「甲野」前路上で被告人から代金五〇〇〇円で入手したことに間違いがない。

入手日時についても、タイムカードで確認してもらつたところ、八月一七日ころと供述していたのは、同月一八日の記憶違いであることが分かつた。同月一四日から一七日までは盆休みで、出勤しておらず、休み明けの一八日夜、会社から車で山科へ行き、被告人から覚せい剤を受け取つている。

被告人から覚せい剤を受け取つた経緯や状況は、先に供述しているとおりであり、最後に被告人から覚せい剤を入手したのは、八月一八日午後九時二〇分ころで間違いない。

また、原審第二、第三回各公判調書中のA証人の供述部分によれば、Aは、右各公判期日において、覚せい剤を誰から入手したのかということについては言いたくない旨述べて、自分に覚せい剤を譲渡した者の氏名を明らかにしなかつたほかは、八月一八日午後九時二〇分ころ「甲野」前路上に駐車した自動車内で、オートバイに乗つて来た相手から、覚せい剤結晶一粒約〇・一グラムを代金五〇〇〇円支払つて購入した旨供述し、かつ、そのときの連絡方法や、「甲野」前路上に駐車し車内でうたた寝をしていたところ、運転席ドアのガラスを叩かれて相手が来たことに気がついたことなど、覚せい剤取引の具体的な状況についても、右各検察官調書の記載内容と同趣旨の供述をし、右各検察官調書については、その内容が自分の記憶どおりになつていることを確認して署名した旨供述していることが認められる。そして、前記Aに対する覚せい剤取締法違反被告事件における第二、第四回各公判調書の謄本中の同人の供述部分によれば、Aは、右証言当時審理を受けていた同事件の公判期日においては、八月二〇日の二、三日前の午後九時一五分か二〇分ころか、もう少し遅い時刻ころ、「甲野」前路上で、オートバイで来た被告人から、グリーンピース大の固まりの覚せい剤約〇・一グラムを代金五〇〇〇円で譲り受けた旨供述していることが認められる。ところが、原審第一四回公判調書中のA証人の供述部分によれば、Aは、右の自分自身の覚せい剤取締法違反被告事件につき判決を受けた後である原審第一四回公判期日においては、八月当時、数名の者から覚せい剤を購入していたから、八月二〇日に使用した覚せい剤を誰から入手したかについての記憶が曖昧であり、その覚せい剤を入手した日が八月一八日であるとか、覚せい剤の最終使用の日である二〇日の二、三日前であるとかということについても、記憶が曖昧であると供述していることが認められる。

Aの供述内容およぼ供述経過は以上のとおりであつて、原判決が、その(事実認定の補足説明)の項において説示するとおり、Aの各検察官調書の内容は、原判示の日時、場所において、被告人から覚せい剤を譲り受けたことを、細かく経過を追つて具体的に述べたものであり、それ自体を見る限りにおいては、格別不自然、不合理な点は存しないかの如くである。かつ、Aは、捜査段階および原審第二、第三回公判期日での証言を通じ、譲渡人の氏名の点を除けば、八月一八日午後九時二〇分ころ「甲野」前路上で覚せい剤を譲り受けたこと、その態様、譲受代金等については、ほぼ一貫した供述をしているうえ、前記の自己の刑事裁判の公判期日においても、譲渡人が被告人である旨明確に供述していることや、Aが、殊更虚偽の供述をしてまで、被告人を罪に陥れなければならないような理由が窺われないこと、原審第二、第三、第一四回各公判期日を通じてのAの供述の変遷に照らすと、Aは、公判廷での証言では、被告人を庇うために、供述を殊更曖昧にしているのではないかと考えられることをも併せ考慮すれば、Aの各検察官調書、原審第二、第三回各公判調書中のA証人の供述部分のうち右検察官調書の内容に沿う部分およびAに対する前記被告事件における各公判調書の謄本中の同人の供述部分の信用性が、相当に高いと見受けられることは否定できない。

しかし、以下に説示するとおり、Aの右各供述内容には、不合理な点が存するといわざるをえない。

まず、原判決も説示するとおり、Aは、各検察官調書において、被告人から覚せい剤を譲り受けたときの状況を、細かく経過を追つて具体的に述べており、その供述中、とりわけ、「甲野」前路上に駐車した自動車内で、シートを倒し寝そべつて、被告人が来るのを待ち、少しうとうとしていたら、運転席ドアのガラスを叩く音で目が覚め、そのとき車内のデジタル時計を見ると九時二〇分だつたという部分などは、実に迫真性があり、実際に体験したことを供述しているように感じられるところ、右供述によれば、八月一八日午後九時二〇分ころ、「甲野」前路上に被告人が到着し、それから本件覚せい剤取引が行われたことになる。そして、Aの供述によれば、被告人が自動車の助手席に乗り込み、すぐに袋の中から指でグリンピース大の覚せい剤一粒を取り出し、Aは、それを受け取つてガソリンの領収証に包み、口をねじつて胸ポケットに入れてから、代金を支払い、車内で五分位雑談した後、被告人と別れ、乙山の事務所に自動車を運転して帰り、誰もいない事務所内で、覚せい剤を粉々にして黄色のコピー用紙に包み替えたというのである。このような覚せい剤取引状況および取引後の行動についてのAの供述に照らすと、覚せい剤取引後、自動車内で雑談した時間については若干曖昧な点があることを考慮しても、被告人が、「甲野」前路上に到着してから、覚せい剤取引を終えてAと別れるまでに少なくとも五分程度の時間を要していると考えられるから、Aが、覚せい剤を譲り受けて「甲野」前路上から出発した時刻は、午後九時二五分以降であるというべきである。また、Aが乙山の事務所に帰つたときは、事務所に誰もいなかつたというのであるから、当然、事務所は施錠され、内部の証明も消されていたと考えられるので、Aは、乙山の事務所前まで帰り、運転して来た自動車を事務所付近の路上または駐車場に駐車し、事務所出入口の錠を開けて室内に入、照明を点けてから、覚せい剤結晶を砕き、それをコピー用紙に包み替えた後、事務所から退社したものと考えられ、そうすれば、Aが事務所前まで帰つてから事務所を出るまでに、五分程度は経過していると思料されるところ、当審で取り調べた司法警察職員作成の「覚せい剤使用時間の一部訂正について」と題する書面によれば、乙山のAの出退勤のタイムカードには、八月一八日のAの乙山事務所からの退出時間が、午後九時五五分と打刻されていることが認められるから、Aが乙山の事務所前に帰つた時刻は、およそ午後九時五〇分より前でなければならない。そうすると、Aは、「甲野」前から乙山事務所前まで、自動車を運転して約二五分以下で走行したことになる。

ところが、当審で取り調べた弁護士村井豊明作成の調査報告書によれば、Aが、右供述にいうところの乙山の事務所前から「甲野」前まで、自動車で往復したと思料される経路は、交通頻繁な市街地を通る道路であり、その道程は約一六・五キロメートルであることが認められ、その同じ経路を、村井弁護士が、平成五年一一月六日(土曜日)夜、自動車を運転し、いわゆる車の流れに乗つて時速約五五ないし六〇キロメートルで走行し、その所要時間を計つたところ、往路の乙山事務所前から「甲野」前までの所要時間は午後七時五五分から八時三五分までの四〇分であり、帰路の「甲野」前から乙山事務所までの所要時間は午後九時二五分から一〇時一分までの三六分であつたことが認められる。もちろん、村井弁護士が右経路を走行した日は、Aが走行した日と異なつており、当審で取り調べた京都府警察本部交通部交通規制課長作成の「捜査関係事項照会書の回答について」と題する書面からも認められるとおり、道路の渋滞状況も当然異なつているのであるから、村井弁護士が計測した時間を、そのまま本件犯行当時にあてはめて考えるのは、ややためらわれるところではあるが、本件犯行当時と村井弁護士の走行実験当時とを比較して、右経路の道程そのものは、大きな違いがあるとは認められないこと、京都市内および日向市内の道路の交通状況も、それほどの大差はないと考えられること、村井弁護士が右経路を自動車で走行したときの速度も、殊更遅く走つたり速く走つたりしたものではなく、一般普通の走行速度であると認められることに徴すると、捜査段階において、右経路を自動車で走行するのに要する時間について調査した形跡が窺われず、右調査報告書以外に、右経路の所要時間に関する証拠がない以上、右経路の所要時間については、右調査報告書記載の数値を前提にして考えざるをえない。そうすると、右経路を通つて「甲野」前から乙山事務所前まで行く間、村井弁護士は、平均時速約二七・五キロメートルで走行したのに対し、Aは、その一・四倍の平均時速約三九・六キロメートルで走行し、村井弁護士より約一一分少ない所要時間(これは、村井弁護士の所要時間の約七〇パーセントに相当する)で乙山事務所前に帰つたことになるのであるが、右経路は、道程が約一六・五キロメートルしかなく、村井弁護士が走行した際の所要時間は三六分であるから、その程度の距離および所要時間において、約一一分も所要時間が違えば、僅かな違いであるということはできないうえ、右経路が交通頻繁な市街地を通つていることに照らすと、果して、Aが、そのような短時間のうちに「甲野」前から乙山の事務所まで帰ることができたか、疑わしいといわざるをえない。しかも、右所要時間は、「甲野」前でAと被告人とが会つてから別れるまでの時間と、Aが乙山事務所前まで帰つてから退出するまでの時間を、それぞれ五分間と仮定して算出したものであつて、いずれも実際にはそれ以上であつた可能性も否定できないから、Aが、「甲野」前で被告人と会つたのが午後九時二〇分ころであるとすれば、その後、Aが、その供述どおりの行動を経て、午後九時五五分にタイムカードに打刻することができたかは、より疑わしいというべきであるところ、タイムカードに記されたAの退出時刻は動かしがたいから、右の退出時刻から逆算すると、八月一八日の午後九時二〇分ころに「甲野」前でAと被告人とが会うことはありえず、この点において、Aの右供述には、矛盾があるといわなければならない。もつとも、Aが運転していた自動車内の時計または前記タイムレコードの時計の双方あるいはいずれかが狂つていたとすれば、以上の認定には疑問が生じるが、右各時計が狂つていたことを窺わせるような証拠はないから、以上の認定は左右されない。そして、Aの各検察官調書によれば、Aは、平成二年に入つてからも八月一八日までに数回、被告人から覚せい剤を買つたことがあると述べていることを併せ考慮すると、Aの各検察官調書、原審第二、第三回公判調書中のA証人の供述部分および前記のAに対する事件の第二、第四回公判調書中の同人の供述部分に録取されている覚せい剤譲受についてのAの供述は、原判示犯行日の八月一八日とは別の日のことを混同して供述しているのではないかと疑わざるをえない。

また、Aの九月一〇日付検察官調書の謄本(原審標目番号一四)によれば、被告人が、八月一八日午後九時二〇分ころ「甲野」前まで乗つて来たオートバイは、被告人がいつも乗つているオートバイだつたというのであり、原審第二、第三回各公判調書中のA証人の供述部分によれば、八月一八日午後九時二〇分ころ、「甲野」前で覚せい剤を譲り受けた際、相手が乗つて来たオートバイは、昔のオートバイという感じの型であり、ナンバーの数字は、八が三つ並ぶというような単純な配置ではなかつたように記憶しているというのであるところ、Aの右各供述からすると、右各供述は、同一のオートバイについて述べているものと認められる。ところで、このオートバイは、司法警察職員作成の「犯行使用車両の写真撮影について」および「被告人使用のバイクの修理状況について」と題する各書面等関係証拠によれば、被告人が、平素通勤等に使用していたホンダレブルと呼ばれる車種のオートバイであると認められ、たしかに、一見して昔風の型という印章を受けるオートバイである。そして、「犯行使用車両の写真撮影について」と題する書面および原審第一六回公判調書中の被告人の供述部分によれば、被告人が逮捕されるとき、警察官が、被告人方の前に駐車してあつたホンダレブルを、本件犯行時に被告人が使用した車両として写真撮影していること認められることに照らすと、Aは、捜査段階においても、被告人が昔風の型のオートバイに乗つて来た旨供述していたことが窺われ、被告人が、Aと会うためにオートバイに乗つて「甲野」前に来たとすれば、そのオートバイの型について、Aが誤つて記憶しているとは考えにくいというべきである(原審第一六、第一九回各公判調書中の被告人の供述部分によれば、六月以降、ホンダレブルの調子が悪いため、被告人は、カワサキGPZ四〇〇という車種のオートバイに乗り、ホンダレブルにはほとんど乗つていなかつたというのであり、「被告人使用のバイクの修理状況について」と題する書面等関係証拠に照らすと、被告人の右供述が信用できないとはいえないのであるが、右供述によれば、被告人は、カワサキGPZ四〇〇を使用するようになつてからも、時々ホンダレブルに乗つていたことが認められ、ホンダレブルも、調子が悪いとはいえ、乗ることは可能であつたから、被告人が、ホンダレブルに乗つて「甲野」前へ行くことはありえないことではない)。ところが、司法巡査作成の九月五日付電話受発信書によれば、被告人が使用していたホンダレブルのナンバーは、七月二六日に「〇〇〇〇六八一一」から「〇〇〇〇三八八八」という非常に印象に残りやすい番号に変更されていることが認められ、Aが供述するように、八月一八日に、被告人が、ホンダレブルに乗つて「甲野」前に来て、Aが乗つている自動車の前に、同じ方向に向けてオートバイを止めたとすれば、Aは、オートバイの型のみならず、そのナンバーについても、その全部はともかく、八が並んでいたという程度のことは記憶していると考えられるのであるが、前記のとおり、そのオートバイのナンバーについては、八が三つ並ぶというような単純な配置ではなかつたように記憶しているというのであるから、Aの右オートバイについての供述をそのまま受け入れるとすれば、被告人がホンダレブルに乗つて「甲野」前に来たというのは、そのナンバーが変更された七月二六日よりも前のことであると考えるのが合理的であり、そうすると、この点からも、Aが、八月一八日のこととして覚せい剤の譲受につき供述している内容は、実は八月一八日のことではなく、七月二六日よりも前の出来事ではなかという疑いをもたざるをえない。

更に、Aは、捜査段階において、被告人から覚せい剤を譲り受けた日について、当初、八月一七日の金曜日であると供述し、後に、前記のタイムカードを示されてから、同月一八日の土曜日であつたと訂正しているのであるが、関係証拠によれば、Aは、同月一七日までは盆休みをとつて勤務先を休んでおり、同月一八日は盆休みが終わつて最初に出勤した日であることが認められるから、その両日とも記憶に残りやすい日であると考えられるにもかかわらず、Aは、捜査段階の当初、覚せい剤を最後に使用したのが八月二〇日であり、その覚せい剤を入手したのは、最後に覚せい剤を使用した日の三日前であるから、被告人から覚せい剤を譲り受けた日は八月一七日であると供述していたのであつて、タイムカードを示されるまで、覚せい剤入手の日が、盆休み後の最初の出勤日であるということを供述していないこと、原審の証拠等関係カードによれば、Aの同月三一日付警察官調書には、被告人から覚せい剤を譲り受けた旨の供述が記載されていることが窺われ、当然、譲り受けた日についての供述も記載されていると思料されるところ、Aが覚せい剤を譲り受けたという日から右警察官調書作成の日までは、二週間しか経過していないから、記憶がそれ程薄れるとも考えられないこと、原審第三回公判調書中のA証人の供述部分等関係証拠によれば、Aの方から取調べの警察官に対し、覚せい剤を譲り受けた日が金曜日で、いわゆる花金である旨供述していることが認められることを総合考慮すると、前記のように、Aが、当初、覚せい剤を譲り受けた日の日付や曜日を間違えたというのも、不自然であると考える余地が十分あり、この点でも、Aの各供述にいう覚せい剤の譲受が、八月一八日のことであつたとするには疑問があるといわざるをえない。

以上説示したところに照らせば、Aの前記供述により、Aが、「甲野」前で被告人から覚せい剤約〇・一グラムを譲り受けたことがあつたとは認められるにしても、それは、七月二六日よりも前のことであつて、その覚せい剤は、Aが八月二〇日に使用したという覚せい剤と関係がないのではないかと疑うだけの合理的な理由があるというべきであり、専らAの前記供述に基づき、原判示のように、八月一八日に「甲野」前で、被告人がAに覚せい剤を譲渡した旨の本件公訴事実を認定することはできないというほかない。

たしかに、原判決が説示するとおり、被告人は、アリバイ工作をしてきたと認められるうえ、関係証拠によれば、被告人は、本件で京都拘置所に勾留されている間、同拘置所に身柄を拘束されている多数の覚せい剤事犯の関係者と手紙をやり取りしていることが認められ、被告人は、これらの者を通じて覚せい剤を容易に入手することができる立場にあつたと考えられることなどにも徴すると、本件公訴事実を全面的に否定する被告人の弁解をそのまま信用することは躊躇され、被告人が本件覚せい剤譲渡の罪を犯した嫌疑は払拭しがたいところではある。しかし、被告人の弁解の信用性が低いからといつて、そのことから直ちにAの前記各供述の信用性が高くなるものではなく、既に説示したとおり、Aの前記各供述にも不合理な点があり、その信用性を肯定することができず、他に本件公訴事実を照明するに足りる証拠がない以上、本件公訴事実については、疑わしきは被告人の利益にの原則に従い、犯罪の証明がないといわざるをえない。

従つて、本件公訴事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。論旨は理由がある。

よつて、控訴趣意中のその余の主張について判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、更に判決することとし、本件公訴事実については、前記のとおり、犯罪の証明がないことに帰するから、同法三三六条により無罪の言渡をすることにして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 米田俊昭 裁判官 楢崎康英 裁判官 笹野明義)

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